なぜわたしが政治を志したのか


私の仕事は「情報を伝えることで縁ある人たちのお役に立つこと」
社会人のスタートは青森放送のアナウンサーとして

その後は、フリーアナウンサーとして
さらに2009年からは、青森応援隊長として情報を伝えてきました。

ジャーナリストを志して様々な社会問題を取材する中で感じていたことは、「教育と政治が変わらなければ社会は良くならない」ということでした。

でも、政治のことはよくわからないし、変わりそうにないから自分の関わる領域ではない、そう思っていました。
だから、私は教育から社会を変えていこう!と、大人が学ぶ場をつくり、一人一人に意識変革をもたらすことで仲間と共に青森を良くしていく社会教育活動を行なってきました。

しかし、このコロナ禍で青森県の現状は、自殺率1位、平均所得ワースト1位、短命県1位。 農家の減少も加速し、耕作放棄地や空き家も増える一方です。

今、何か取り組みを大きく変えなければ、青森県の衰退は避けられない。そんな危機感を募らせていた時に、全く新しい仕組みの政党・参政党と出会いました。

理念や政策の柱が私の考えとまさに一致していたこと、
一人一人が政治を学び、政策を考え、政治に参加していくプラットフォームであることに惹かれました。

もう誰かに任せきりにしたり、誰かのせいにしない。
国民参加型の政治にしていく

そのためには、まず情報が必要です。
マスコミでは伝えてくれない様々な専門家たちの知見情報、県政や国政でどんなことが話し合われているのかという議会情報をわかりやすく伝えること。


そして、県民の声をしっかりと県政に届けていくこと。
その情報の橋渡し役を担いたいと思い、新たな挑戦へと一歩踏みだしました。


生きる目的がわかりません
と話したのは青森県で甲子園を目指す高校球児の男の子です。
多くの若者が生きる希望を見失い、自分のことが好きではなく、自信がない。

そんな私も、18年ほど前は生きる目的を見失って、鬱状態だった時があります。
青森放送で8年、局アナとして取材活動・生放送番組を担当した後、もっとジャーナリストとして成長したくてフリーになった頃のことです。
社会課題を取り扱うも、一リポーターの立場では取材の自由度は全くなく、タレントのような振る舞いや媚びを売ることを強要され、この仕事で社会の役に立っている実感が持てなくなりました。
他にも感じていた違和感や矛盾がたくさんあり、キャリアビジョンに何年も葛藤しました。

その後、様々な尊敬できる人たちとの出会いや学びによって自分を見つめなおし
人生の目的、自分の使命を明確にすることができました。

2009年から私は、青森をもっと楽しく物心共に豊かな地域にしていこう!と、loveaomori projectという草の根活動を始めました。
大人が夢を語る起業家のプレゼンテーション大会では、
産前産後のお母さんをサポートをするNPO法人、発達障害のお子さんやその親御さんをサポートする事業を立ち上げた人、無農薬栽培のりんご農家、 などこれまで80名以上の青森県民が、それぞれの地域で社会を良くしようと挑戦し続けています。

大人たちが共に学び成長し、応援しあう、 そんな環境・文化の中では、子供達も勝手に成長し夢を見つけていくのだということも実感しています。

私の役割は、そんな仲間たちが繋がるプラットフォームを作り、より良い学びの情報提供をすること、そして彼らを応援するための情報発信をすることです。

しかし、今の青森県の現状は・・・
自殺率が最も高く、平均所得が最も低く、日本一の短命県。
農家の数もどんどん減っていくのを食い止められません。

そこには、あらゆる制度の壁が立ちはだかる。
やはり政治の部分から変えていく必要性を感じています。

さらに、マスコミは一向に偏った報道しかしていません。
わたしは、もっと公平で正しい情報を伝えることでお役に立ちたい

伝えても伝えなくても良いものではない、どうしても伝えなければならないことがある。
国民と政治との情報の橋渡し役を担い、国民の知る権利を守ります。

そして、参政党の同志たちと共に日本を世界のお手本となる国にします!

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